家のあかし事業部のブログ始めます
こんにちは!
家のあかし(家紋・家系図)担当の日下(くさか)と申します。
家系図の制作や家紋の面白さを、親孝行の視点でより多くの方々へと広めるためブログを書き始めることにしましたので、お付き合いいただけると嬉しいです。
まずは、私の自己紹介をさせていただきます。
自己紹介
日下 智仁 (くさか ともひと)
1983年4月4日幸せの日に文京区に生まれ、千代田区で青春時代を謳歌する。
20代は人生の80%を音楽が占めるような生活をする。音楽制作関係のトラックメーカーやレコーディングエンジニアを目指す。
2013年に同窓会の代行サービスを行うベンチャー企業への就職。
2017年4月より当社にて「家のあかし」(家紋・家系図事業部)を担当しております。
家のあかし事業部とは?
家のあかし事業部は家族で継承され続けるものにフォーカスをしてサービスを開発提供しております。
現在は、代々受け継がれている家紋を伝統工芸品で残したり、ほとんどの方が150年前まで辿ることが出来る家系図の作成と新しい継承の方法をご提案しております。
では、実際に今回のタイトルにあります、「先祖と自分のつなぎ方」について説明します。
家系図はどうやって作るのか?
「自分で出来る家系図づくり」の流れを簡単に説明すると、本籍があった市町村区に辿れる限りの謄本を請求することの繰り返し、おおよそ150年前後までたどることができます。
戸籍・除籍謄本で判明する情報
・名前
・生まれた場所
・婚姻について
・生没年月日
○之助、ツル、○太郎、カメ、幕末の年号や明治〜大正〜昭和〜平成などなど。
事業部を立ち上げ、家系図を制作していくうちに、命の連鎖や時代の移り変わり、家族観の違いを感じることができました。
自分の先祖も日本の歴史の一分になっているなという実感が湧いてまいります。
より良い家系図を作るためには?
家系図を作ると、この人がどういう人物なのかとても気になりました。
この「どういう人物か」が家系図以上の情報にあたります。
そういった情報にアクセスする重要なポイントは親族が覚えている情報の収集です。
祖父母の各個人にどういった人物でどのような歴史があるのか?家族の過去について情報を知っている人に聞くのが一番で、
早ければ早いほうが良いです。「うちの先祖は〇〇で〜〜〜えーーっと何だったかな、」
なぜなら、口で言い伝えられているような情報は記憶の中で劣化したり、忘れ去られてしまうからです。
一番最初は、下記のような状態がいち早く出てくると思います。
父:東京
祖父:岩手
祖母:東京母:東京
祖父:群馬
祖母:東京
これは私の例です。
自分と両親ともに『東京生まれ、東京育ち』です。自分が幼い頃は「故郷は東京しかない」と思っていました。ですが、制作をしていく段階で、思い出はないけれど新しく自身の故郷が増えていく実感ができました。私の祖父2人は「岩手」「群馬」で、この段階で他県への親近感がすごく湧いてきます。
小話をすると、
年末年始、正月お盆の時期は、東京で過ごすことが多く、友人が実家に帰省するのをとても羨ましく思ってました。
幼い頃にコンクリートが遊び場として育ってきた私にとって、東京に住んでいる人が日本全国からやってきていることなど知りませんでした。大学を卒業して東京で就職し、家庭を持ち、育んでいく人々が大半で、私はそういう人々に囲まれて育ってきたのを戸籍の請求をして改めて実感いたしました。この情報だけでは、自らの探究心が先行して物足りなくなりました。
先祖はどのように生きて、どのようにお別れをしていったのか…これから自分はどの様になるのか?
本当に人を喜ばせることが出来るサービスを提供するため、まずは自分自身で体験して確かめるしかない!
もっと先祖に近づきたい…ルーツを知りたい…そう思うようになっていました。
自分が実際にやってみた体験が広まるように、自身の先祖について書いていきたいと思います。
祖父の「日下」が岩手から来た理由は?
まず始めに、自分の名前の先祖である父方の祖父が「岩手から東京に来た理由」が分からずとても悔しい気持ちになりました。
祖父は上京して、僕の代まで子孫を育むことができた人物です。
けれど、私は祖父とまともに話したことがなかったのでどういう人物なのか知らない…すでに12年前に他界しているので本人には聞くこともできません。
幼い頃の印象は、頑固で無口だし口下手な祖父で、人をあまり褒めず、自分が可愛がられた記憶もありません。
土日や祝日に祖父の家へ行けば、常にNHKがついていて、ドラえもんが始まる19時前には帰りたかったものです。
正直言うと、祖父は、私にとって不都合な面が多くネガティブな印象ばかりです。
今になって、祖父のことを考えると、並大抵の努力ではない得られない経験をしてきた人物で「尊敬」できるようになりました。
話すことができないのが本当に悔やまれます。
祖父が東京で一族を育むことができた、祖父のストーリーについて知りたくなりました。
身近にいて、祖父の情報を最も知っているのは父親です。家庭内でも祖父については話題することが無く、いきなり聞くのは気まずいながらも勇気を出して聞いてみました。
すると…出るわ出るわ昔話!
崩壊したダムのように、様々な情報がブワッと溢れてきました。
・父と祖父の思い出
・家族の日常の話
・父の昔話
・時代背景の話
祖父のことが聞きたかったのに、ついつい他の話しも盛り上がってしまいました。
父とこんなに話したのは、いつ以来だろうか?
趣味趣向も性格も違うので、日常生活ではほとんど話さないし互いについて聞きもしない。共通の関係性がある「祖父」について興味を持って話すことでこんなに会話が弾むなんて思ってもいませんでした。
祖父のことを聞いた目的を父に話し、久しぶりに祖父の育った土地を見たいと伝えました。
久しぶりと言ってもおそらく25年~30年ぶりのことで、幼稚園の頃に家族で岩手に行ったというウロ覚えの記憶しかありません。
34歳になった昨年。
父に遠縁の親戚に連絡をとってもらい、自分のルーツを辿る旅をすることにしました。
・目的は下記の3つ
・祖父の生家を見に行く
・代々のお墓を拝みに行く
・親戚から先祖の情報を聞きに行く
次回は「祖父の見た景色」というテーマで、実際にルーツを探しに行った時のことをブログにしてまいります。
次回をお楽しみに!